ユア・サンクチュアリ 聖書

聖書の秘密-幸せな人生の歩み方-

「聖書」と聞くと
どんなイメージが湧きますか?

・キリスト教の本
・分厚くて読むの大変
・難しくて分からない

と言ったところでしょうか

キリスト教と関連することで
どうしても「宗教」と思ってしまうので
余計に手に取るのが難しいのでは

そんな聖書ですが
実は、私たちの暮らしにとても身近なことや
馴染みのあるものに関連しているのです

一番は暦ですよね
西暦はイエス・キリストが生まれた
又は洗礼を受けた日を基準としているし

1週間が7日間なのも、聖書の創世記に
この世界が7日間で創造されたというところからきています

ビールやワイン飲まれる方いますか?
ハーブ好きな方いますか?

実は、中世では修道院というのは
ものすごく大きな役割をしていたんです

修道院は自給自足の生活をして、農業や医療や大工など、すべてのことを賄っていたわけ です

そのため、水の代わりにビールやワインの醸造をしたり、ホップの発明をしたり
病人の手当てをするため院内に薬草園を作り
薬草を使って病気の治療として発展させたりしました。
ホスピスも修道院が元になっています

なぜこういうことが出来たかというと

中世では「神学」が学問の最高とされていて、知識人の多くが聖職者や修道士だったためです

修道院では貴重な書物を書き写すことも重要な仕事でしたし、様々な研究もされていました

遺伝に関する法則「メンデルの法則」を発見したのも聖アウグスチノ修道会の司祭である
グレゴール・ヨハン・メンデルです

スピリチュアルや自己啓発で言われていることの大元を探っていくと、たいがい聖書にたどりつきます

聖書ってちょっとすごくないですか?

世界人口の半数以上が価値を置く
聖書の教え


スピリチュアルブームの火付け役として有名な「引き寄せの法則」

自己啓発系ならナポレオン・ヒルの「思考は現実化する」とか、ジェームス・アレンの「原因と結果の法則」とかありますね

そういう書籍の著者って海外の方ですよね

では、海外の方の価値観の基礎ってなんだと思いますか?

世界に目を向けてみると、世界宗教の中でキリスト教の信者数は筆頭です。
2番目のイスラム教も実は旧約聖書部分は共通しています。

ということは、人生の価値観の基礎の中に聖書の教えを基本においている人が、世界人口の半数以上いる、ということになります。

2022年中頃の予想で、信者数が最も多いのはキリスト教で25億5987万5千人。
次のイスラム教は19億6132万3千人で、続くヒンズー教は10億7378万4千人、仏教は5億4593万8千人となっている。

クリスチャントゥデイ

日本は特定の「宗教」を持っている人は少ないですが、それでも、子どもが生まれれば
お宮参りや七五三、節句の祝いなどしますね

元旦には初日の出を見て、参拝に行ったりします

難しい教えを知らなくても、
その社会に根づいているものは、
知らないうちに自分の価値観として根付くのです

なので、キリスト教を信仰していることの影響を無視できるものではありません

このことから「世界を相手にビジネスをするなら聖書理解は必須だ」という方もいます。

実際、経営者や会社の重要ポストについている方、個人起業主さん達とお話しできるようになると、聖書について理解されている方も多いのです

むしろ、そういう方達の方が
「目に見えない世界」の理解がとっても深かったりします

だから人の上に立つことができているのか
そういうお役目がやってくるのか
と、私も実感することができたのは、それからです

聖書に書かれていることは、史実に載っていないこともあり、証明できないことも多くあることから否定されることもありますが、

時代が進み、科学の進歩が聖書の内容を次々と証明されてきています。
これからもっと、聖書の内容について様々なことが明かされてくるでしょう

そんな聖書を「ただの宗教本」と避けているのは、とても勿体ないことなのではないでしょうか?

では、聖書を知ることで、
他にどんなメリットがあるのか
聖書と幸せな人生の秘密をご紹介していきましょう

聖書の最大のメリット「平安」

最初に考えて欲しいのは「幸せ」と感じない時の心の状態です。


どんな感じですか?

  • これからどうなるんだろう?
  • 明日の仕事うまくいくかな?
  • これやっても大丈夫かな?
  • できなかったらどうしよう
  • やっぱり無理かもしれない

などなど、まとめると
「不安」や「恐怖」にある状態ですよね

もし、そういう「不安」や「恐怖」がなかったからどうですか?

モクモクとした薄暗い雲がさーっと取り払われて、スッキリとした青空が見えるように
晴れやかで、自然と笑顔になってしまうような気分になりませんか?

ということは
「不安」や「恐怖」が、あなたを
「幸せじゃない」状態にさせている
訳です

つまり、その「不安」や「恐怖」の正体が何か?がわかれば、対処のしようもありますね

実は、人に不安や恐れを生じさせるのは
「知らない」
「理解できない」
「わからない」
ということが大きな原因なんです

お化けだと思っていたものが
ただの影だと分かった途端のあの安堵感
そんな感じです

イエスさまは聖書の中でこんなことを言われています

わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。
わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あたながたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。

ヨハネ14:27

イエスさまが、なぜあえて「平安を与えます」と言われたのか?

それは、私たちが幸せじゃない状態は
「不安」や「恐怖」から来ると知っていたからでしょう

もう一つポイントとして平安には「世が与えるもの」もあるけどそれとは違うよ、と言っているところです

この世的に「幸せ」と感じることって色々ありますよね
お金とか地位とか名誉とか
好きな食べものや服とか趣味とか

でも、そういうものって「その時」は満たされますが、ずっとは続かないですよね

では、イエスさまの「平安」とは一体何なのでしょう?

私はそれは「軸」だと思います
誰に何を言われても、何が起こっても
平らな状態に戻れることです

平安は「信頼する」ことから

安らいだ幸せな状態というのは
赤ちゃんが、すやすやと眠る姿を見ればよくわかるでしょう

赤ちゃんは、生まれた時は何もすることが出来ないですから
抱いてくれる人、声をかけてくれる人、おむつを替えて身体を快適にしてくれる人に全面的に任せるしかありません

「全き信頼」というのは
こういう状態なのだろうなと
赤ちゃんを見ていると思います

そして、いっときは不快な状態があっても
それが取り去られて、また快適状態にしてもらえることを当然としているでしょう

わたしは、おまえたちのために立てた計画をよく知っている。
それは災いではなく祝福を与える計画で、将来と希望を約束するものだ

エレミヤ書29-11

神様がいるのなら、どうしてこんなことが起こるのか?
そんな風に考えてしまう出来事が、この地上にはたくさんあります

けれどもそれが「災い」ではなく
最後には祝福となり希望となると
無条件に信じることは

赤ちゃんが不快な状態から解放してくれると
無条件に信頼するのと一緒です

そもそも、よく考えてみてください
1日24時間365日、地球は回転して太陽系の周りを巡り、循環のエネルギーを生み出しています。

そして、人は自然の中で育まれた命、資源を本来、無償で得ているのです
それを誰かが「所有」しようとするので争いが起こるのです

つまり、神様が起こしているわけではなく
その原因を作っているのは人間です

人間は神様の似姿として創造されていますから、その潜在的パワーは計り知れません

人間が皆「地球は終わりだ!」と100%信じたら、そのようになってしまうでしょう

引き寄せの法則でも
「信じていることが現実になる」
と言っていますよね

「何を信じているか」というのは生きる上ではとても重要なのです

だからこそ、神様は
「恐れるな、信頼せよ」と告げているのです

聖書の登場人物の生き方から学べる

どんなに科学が進んでも、どんなに人間の能力や技術や知識が増えても、人間の悩みというのは変わらないものだと思いませんか?

年齢を重ねるにつれ、複雑さを帯びてきますが、その根本的な悩みというのは、幼い頃と何ら変わらないと感じることが多々あります。

それに人間の歴史からしてみても、
喉元過ぎれば何とやらで
同じような過ちを繰り返してきます

そして人は問うのです
・自分は何者なのか
・自分が存在する意味は何なのか
・何のために生きるのか

聖書には同じように悩み、過ちを繰り返し
そして同じように神に問いかけてきた
沢山の人の生き様が描かれています

教会のメッセージの中で、
人生は一度しか生きることができませんが
聖書の中の様々な人物の人生から学ぶことができる

と話されていたことがありました

聖書に描かれている多くの人たちの人生での
選択と結果、そして人が陥りやすい考えや罠は、問題を回避するのに役立つのです

ものを正しく使うには「取り扱い説明書」
受験の対策には「対策本」
わからないことを調べるには「参考書」
みますよね?

聖書も同じです
人生を幸せに生きるためのガイドブックなんです

多角的視点を持てるようになる

人生には「良い」と感じる時もあれば
「悪い」と感じる時もあります。

同じ出来事であっても
その受け取り方によって、その後の歩みは大きく変わってきます

そのために「物事をポジティブに捉えよう」ということを言われます。
そして、明るく前向きでいようと努力します

けれども、最初は良くても、しばらくするとネガティブさが出てきてしまい、それで落ち込んでいると、今度は「ネガティブでいいんだよ」ということを言われたりします。

そして、そうか「ネガティブでもいいんだ」と思います。
でも、そのうちに「本当にこれでいいのか?」という思いが湧いてきて「やっぱりポジティブにいた方がいいよね!」となって

ポジティブ→落ち込む→ネガティブ→頑張る→ポジティブ→のループを繰り返していませんか?

人は知らず知らずのうちに、周りから様々な影響を受けます。

そして気づけば、その流れに飲まれて、
あっちに行ったり、こっちに行ったりしてしまい、完全なる迷路に迷い込んで

本来の目的地はどこなのか?
どこに行こうとしていたのか?
がわからなくなってしまいます。

現代は沢山の情報に溢れています。

自分で「選んでいる」と思っている生活スタイル、購入しているもの、身につけているものさえも、何かしらの「誘導」によって、そんな気にさせられているだけかもしれません。

人は、ある固定の情報をしばらく得ていると、それを「当たり前」と思い、信じます。
そして他の情報や意見が耳に入らなくなってくるのです。

身近なところで言うと「〇〇が言ったから」ということを口にしたことはないですか?

その時に、他の人の意見や情報を得ようとしたでしょうか?事実はどうであったか?自分なりに調べたり考察してみたりしたでしょうか?

人は白黒つけたがりますが、両極端ばかりだと分裂してしまいます。
話し合いがこじれた時や、平等な意見を求める時には、第三者を入れますよね。

同じ様に、私たちの人生を歩む上で、自分の思いや考えや心が両極端にならない様に、
様々なことに振り回されて迷路にはまらない様に、第三者的な視点を持つことが必要です。

聖書を読んでいると、その第三者的な視点とそれより上の多角的視点まで、知らないうちに身についてきたりします

つまり
「神様だったら、この物事をどう見るだろう?」と考えることで、物事を俯瞰して考える癖がついてくるのです


これは人間関係を円滑にするのにも、とても役立ちますし、自分の心を守ることにもなります

子どものようになること

人は神の似姿であり
この世界のあらゆるものを与えられ、
それを適切に管理する役割があります

そしてそのために与えられている
それぞれのギフトがあります

そのギフトに従って神と共に生きること
つまり自分が得意でスムーズにできることを生かしていくことです

けれど、この世界では神様の法則よりも、
人間が作ったあらゆる「ねばならない」に
従ってしまうことが多いのです。

人間は神様の似姿ですから、
心では神様の法則に従おうとするのに、
人間的な思考はそれに逆らい、
そこにギャップが生まれます

生きずらさや、苦しさはそのためです

子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。
はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。

ルカ18:16-17

私は、子どもたちって
こういう「生きずらさ」や「苦しさ」が
神様の法則から外れているからだよって
教えてくれる存在なんじゃないかなって思います

20年以上、幼稚園や保育園で子どもたちをみてきて
子どもたち同士の関わりを見ていると
本当に「はっ!」とさせられることばかり

小さなお子さんがいらっしゃる方は
「なんでそんなことばかりするの!?」
と思うことばかりだと思いますが

1日、とことん、子どもが楽しそうにしていることに付き合って、自分も楽しんじゃってみてください

ああ、神様と一緒にいるってこんな感じだ!って、思い出すはずです(笑)

難しいこと考えるの好きなので、 色々長々書きましたが、結局のところ

幸せな人生を生きる最大のコツは
「子どものようになること」

それが「自分らしい」ということだし
それを神様は喜んでくれます

いつもキラキラ楽しそうにしてる人
やりたいことを情熱を持ってしてる人
自然に応援したくなりませんか?


そういう人のそばにいたいと思いませんか?

人がそう思うのならば
神様ならなおさら当たり前ですよね

これからも聖書のことを
書いていきますので
読んでみてくださいね

今日も最後まで読んで頂き
ありがとうございます
神様の愛と恵みと平安の中に
AMEN

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