特別信仰している神様はいない
宗教はなんだか怪しい
そう思っている多くの人も
クリスマスを祝い
正月を祝い
伝統行事を守り
折につけ祈り、願います
人生の使命や生きる意味を問い
死の先にあるものに思いを馳せます
それは何故でしょう?
それはわたし達が
目には見えない何か大いなるものの中で
存在しているという感覚を
誰もがどこかで感じているからではないでしょうか
世の中には多くの人生について語っているものがありますが
どの概念も「人がこの世を幸せに生きる」という道を
様々な方法で説いているのではないでしょうか?
そして「幸せに生きる」ためには
この自然の中に何一つ全く同じものがないように
自分という存在が、掛け替えのない唯一の存在であることを知り
そうであるならば、
自分以外の人もまた同じく掛け替えのない存在であること知り
この世界に生きているもの全てに存在している意味と目的があり
その道を歩んでいくことだ
というのもまた共通している概念なのではないでしょうか
わたしはこれを聖書では「神と共に歩むこと」
としているのではないかと思います
自分の人生をより良く生きたい。
そう思い、願わない人はいないでしょう。
あなたもそうではありませんか?
でも、現実は
学業や、仕事や、家庭や、育児や
何かにいつも追われて、休まることなく
頑張り続け、走り続けてはいませんか?
自分の心の中に、フッと湧き出る
ジレンマや葛藤、孤独感や無力感を
感じたことはありませんか?
それを
「今は考える時ではない」
「みんなそうなのだから」
「仕方ないのだから」
そんな風に一瞬で打ち消してはいませんか?
もし、そうであれば
いま少し立ち止まって
あなたの心の声に耳を傾けてみる必要があります
ドイツの哲学者マルティン・ハイデッガーは、
人間の「虚しさ」について三段階あり
1、手持ちぶたさの虚しさ
2、パーティーの後の虚しさ
3、人間存在そのものの虚しさ
があり、多くの人は、この3番目を軽視しているが
ここに目覚めることが大事だと述べています
私たちは何のために生まれて来たのか、
何のために生きているのか、
なぜ生きねばならないのか
なぜ、生きずらさを感じるのか?
そこを知るためには、自分自身の心に何があるのか?を見つめる必要があります
心の境界線は「自分であるもの」と「そうでないもの」を区別し
まずは、自分が本当に大切にしたいものを大切にするということを学びます